「五等分の花嫁」、五姉妹全員がツボすぎる件
昨日ちょうどラブコメの話をしたので一つずつ検討していこうかなと。
「五等分の花嫁」いいですよね。今のアニメも声があっていて毎週の楽しみになっています。
今回はそんな「五等分の花嫁」についてつらつら語っていこうと思います!
1.「五等分の花嫁」とは
今週刊少年マガジンで連載されているラブコメです。絵がきれいなんですよね。とくにカラーの破壊力が半端ない。今期はアニメもやっていたので私の周りでも一気に知名度が上がったように思います。
ストーリーは、貧乏優秀高校生・風太郎が成績のよろしくない五つ子に家庭教師として勉強を教えていくという学園青春の王道。私も成績優秀ならそんなうらやまけしからんルートに突入できたのか…???多分生まれ変わっても無理ですね。
さらにこの漫画のすごいところは主人公はこの5人のうちの誰かひとりと結婚することがもう決まっているということ。
正直最初タイトルと設定見たときは「将来の花嫁とまで言い切っちゃっていいのか…??」と思い切りの良さに若干ビビったりもしましたが、むしろ最初から五姉妹のだれかが主人公の花嫁になる、と確定しているからこそ誰が花嫁になるのか気になってしまいます。思いっきり作者の春場ねぎ先生に踊らされている。
2.これが中野家の五つ子だ!!!!!
では本作のヒロインである5つ子たちを順番に紹介していきましょう!
⑴一花
五つ子たちの長女でお姉さんポジション。数学が得意。ショートカットいいですよね。これは持論ですが男はみんなショートカット、というかショートカットが似合う子が好きだと思うので一花はもうすでに全男のドストライクなわけですよ。
加えてお姉さんキャラ。いやもう嫌いなわけがないじゃないですか。もう設定の時点で勝ってるんですよね。
5つ子の長女なだけあってしっかり者ですし、女優になるという夢をかなえるためにひたむきに努力している頑張り屋でもあります。
でもやっぱりお姉さんといえど甘えたいときはあるわけで、口ではお姉さんお姉さん言っときながら風太郎に甘えちゃったりもするわけですよ。
完璧では?????
作中では5つ子たちが風太郎を取り合ってバチバチやったりするんですが、一花は最初「自分はお姉さんだから」と我慢するスタンスだったんですよね。
ところが他の姉妹が風太郎に全力でアピールしています。風太郎をとられるのは嫌、でも自分は長女だから我慢しないと…と自身の気持ちと自制の間で葛藤します。この葛藤で揺れ動く一花がいじらしくてかわいくて…!!!!
お姉さんポジの子が自分の感情をコントロールできなくなるなんてネタ、一億回は使い古されてるでしょうがいざ見るとたぎるものです。定石ってそれ自体で強いからずっと使われるんだなあ。
⑵二乃
5つ子の次女で口ではなんだかんだ言いながらも姉妹のこと大好きというツンデレのテンプレみたいなキャラ。ツインテールだし(偏見)英語が得意。
5つ子の中では風太郎への好意が芽生えるのが一番遅かったキャラですが、その分デレた時の破壊力が抜群。ツンデレキャラのテンプレですね。
盛大なネタバレになるので詳しくは言えないのですが満を持してようやくデレたときの二乃がまあーーーーーーーー可愛かった。ギャップ萌えは至高。
二乃の何が可愛いって典型的なツンデレの言動と何気に姉妹で一番女子力が高いところなんですよ。姉妹で一番料理上手だし。
風太郎への好意を自覚してからは姉妹の中でも一番ガンガンアピールするポジになりますが、自分の女子としての魅力への絶対的な自信の表れなのかもしれませんね。
あとこれはほんとに個人的な押しポイントなんですが、風太郎への好意を自覚するまでは二乃は姉妹の仲を脅かすかもしれない風太郎にあからさまな敵意を向けていやがらせをしていたんですよね。姉妹への愛情の裏返しみたいな。
この言動を見るに、二乃は圧倒的に仲間意識が強くて身内を大事にする典型的なタイプ。その分その関係を害する敵に対しては容赦なく攻撃してくる。
こういうところに私はどうしてもハリネズミ的な可愛さを感じてしまう。敵に対して排他的な分身内に対する愛が一身に伝わってくるというか。
また、風太郎への好意を自覚して主に一花・三玖と風太郎の争奪戦になってからも卑劣な手を使わずに、それどころかむしろ堂々と計画を打ち明けてきます。これも、まっすぐな二乃の愛と他の姉妹に対する思いやりの表れのようで、私は正直かなり好きです。裏表がないんですよね。
⑶三玖
5つ子の三女。社会が得意な歴女。
5つ子の中では一番に風太郎への好意を自覚し、一途にしたってきた健気な子。三玖は愛情表現こそわかりづらい、というか不器用なのですが、不器用なりに一生懸命風太郎を思っているのが伝わってくる愛らしいキャラ。個人的には一番好きです。
いつもはポーカーフェイスで感情をあまり表に出さないのに風太郎が関わると怒ったり、嫉妬したり、喜んだりとわかりやすく表情が変わるキャラ。そんなの可愛いに決まってるだろ…!!ずるい…!!!
さっきも言いましたが、三玖を表すなら「健気」の一言に尽きると思います。
風太郎を喜ばせようと苦手な料理をひそかに練習したり、家庭教師の風太郎の期待に応えようと五姉妹の中で一番の点を目指したり…。
特に五姉妹の中で一番の点を取ったら風太郎に告白しようとしたのが一番の押しポイントですね。さっきも言いましたが三玖はとにかく愛情表現が苦手で不器用な子なんです。加えてシャイで自分に自信がない。
それが家庭教師の風太郎のおかげで自分に少しずつ自信を持てた。そして自分が成長したことを証明するため、風太郎に告白する自信を持つために五姉妹の中で最高点をとろうとしたのです。
正直、そんなことをしなくても好きな人に告白なんてできます。でも三玖は告白するだけの自信を自分に対して持てなかった。それをテストの点という目に見える評価によって補おうとしたのです。
三玖のこの考え方は正直あまり肯定はできません。自信は他者から与えられるものではなく自分で信じることによって確立していくものだからです。
それでも、間違ったやり方でも自分を変えようと三玖は必死にあがいている。その姿には愛しさしか感じられません。
不器用で、だけど努力をやめない。そんな三玖を私は全力で応援したいです。
⑷四葉
5つ子の四女。国語が得意。
所謂あほの子ですが、その分裏表がなく転身爛漫な可愛さのある子。見てて癒されるタイプですね。
風太郎に対しては、恋愛感情かどうかはともかく、三玖より前から好意的ではあった唯一の子。風太郎の授業にも最初から積極的に参加してましたしね。
運動神経がいいのでいろんな部活から助っ人として駆り出されます。しかもお人よしで断れないのでそのまま部活に入部しそうになったことも。
いい子なんですけどいい子過ぎて自分をないがしろにしてしまうというなかなかに難儀な子です。(二乃の爪の垢でも煎じて飲ませたいですね。)
そのように天然で純粋な子として認識されている四葉ですが、風太郎に対して思わせぶりな発言をすることも。う~~んなかなかにトリックスターですね。
物語の関係上重要な役割を担いそうなキャラです。
⑸五希
5つ子の末っ子。理科が得意。
風太郎と一番最初にエンカウントしたのがこの五希です。風太郎に学食に1000円以上かけてもりもり食べているところを見られる、というロマンチックのかけらもない出会いでしたが…。
姉妹屈指の大食い。五つ子は全員身長や体重が変わらないという設定だが正五希だけけた違いに食べるので五希だけ体重が違う説まである。あの量を食べて他の姉妹と同じなわけがない。
性格はいたって真面目。しかし勉強はできない。悲しいかな。風太郎にも勉強態度を褒められているものの結果には今のところなかなか結び付いていない。
風太郎とは何かと衝突しやすく、作中では「似たもの同士だから」と説明されていました。言われてみれば両者クソ真面目なことには変わりないですしね。同族嫌悪とかいうやつ。
しかし風太郎との接触がなんだかんだで一番多く、気も合うのもこの五希。将来の夢が教師であることも、風太郎と重なる部分があると思われる。
3.今後の展開は?
そんな個性あふれる中野家ですが、実は昔風太郎がであった「零奈」という女の子に関係していそうなのです。
その「零奈」正体が風太郎の将来の花嫁に関わってくることは間違いないでしょう。
風太郎の未来の花嫁はだれなのか、今後5人の恋愛模様はどのようにギスギスしていくのか、気になるところですね…!!(野次馬)
4.まとめ
以上、ざっくりとした「五等分の花嫁」の紹介でした!!!
とにかくみんな可愛いし話も結末が見えなくて面白い。まだ見たことがない人はぜひ読んでみることをおすすめします。
以上、今日はこのへんで。ありがとうございました!!!!
ラブコメ多いなあ
タイトルの通りです。
最近の少年誌はラブコメが妙に多いなあと。
もちろんラブコメは好きだし面白いものが多いからこそ数に目が行っているんだと思うんですが…。
それにしても多いので少し食傷気味ではありますね。
おそらく、ラブコメというのはすぐに人気が出やすいし展開も自由にさせやすいから今乱立しているのかなあと思います。
まあブームの一環なんですかね。
こんな感じで今回は文句をぶつくさ言ってしまうような記事になってしまいましたが、決してラブコメが嫌いというわけではありませんよ!!それどころか大好きで少年誌のラブコメはほとんどチェックしてるぐらいです。(あれ、食傷気味なのはそれが原因な気が…)
最近では「五等分の花嫁」「かぐや様は告らせたい」「僕たちは勉強ができない」あたりが好きですかね。
あと、この春からアニメになる「みだらな青ちゃんは勉強ができない」なんかも好きですね。アニメも視聴予定です。
あと、王道ラブコメとは言いづらいですが「青野君に触りたいから死にたい」もホラーのぞくぞく感とヒロインの狂気じみた純愛がよいです。
あとはあれですね、「青のフラッグ」。文句なしの名作。もし知らないひとがいたら家に全巻郵送してでも読ませたいぐらいのおすすめです。
なんだかいつも以上に何が書きたいのかわからない要領を得ない文章になってしまった…(笑)結局はラブコメ大好きのオタクってことか…。
ここに挙げたもののほか、おすすめのラブコメはまだまだありますので近いうちにブログ内で紹介できたらいいなと思います。
それでは今日はこの辺で~!!
エキュート品川の「FOUNDRY」のタルトがうまい
お久しぶりです。
どうしても甘いものが食べたいときってあるじゃないですか。
スイパラに行けばスイーツよりサイドメニューのスープやパスタの方が美味しい私でもそんな日はありまして、今日がちょうどその日だったんですよね。
ということでエキュート品川までダッシュしてきました。
エキュートは駅ナカに店があって改札を通らずに買い物することができるのでよく利用させてもらうのですが、ことさらにスイーツ系の品ぞろえが豊富です。それこそ無性にスイーツが食べたい!というこんな時によく利用しますね。
今回はフルーツが食べたかったので「FOUNDRY」という店のオレンジのタルトを買いました。
美味しそう(もう食べた)
あまおうのタルトもおいしそうだったのですが、チョコ大好きな私はチョコタルトにあらがえなかった。
そして皆さんお気づきでしょうが、
そう、ホールです。
一度はケーキをホールでたべてみたい、という夢は字湧現可能かどうかはともかく、だれしも抱いたことがあるでしょう(偏見)。
今回私はその万人の夢に挑戦しようと思います!!!!!(なお、賞味期限は今日中なので一日でこれを食べなければなりません。厳しい。)
ちなみに直径15センチ。やっぱ厳しくね?????
では実食!!!!食べてみました。
…やはりうまい。まずオレンジとチョコの相性が最高。
このタルトはタルト生地の上に生クリームが大量に乗っていたのですが、チョコのタルト生地と生クリームとの間にオレンジジャムが入っているので重くなりすぎずさわやかな後味で食べ進められる。
そして何よりせとかがうまい。
みずみずしくも甘く、チョコと生クリームだけだと完全に胃もたれしそうなところをうまく調整しています。ホールサイズで食べるのにうってつけ!!!!(そもそも一人で食べることを想定して作られてない)
そのおかげもあって、途中何度か死にかけましたが、何とか完食することができました!!
でももうしばらくは甘いものとみかんはいいかなあ…。
年収が高いほど人は幸せになれる?
社会人になるとみんなどうしても年収の話するよなあと思ってしまいます。
年収というのはわかりやすくその人の能力だとかを反映してると世間一般では思われてるから年収=社会的ステータスという価値基準になってしまいやすいからです。
お金がなくても幸せ、なんて言ったりしますがお金がないと不幸になるのは真実です。世の中やはりどうしてもお金というものは必要で、そのことがまた年収=不幸ではない=幸せという方程式を作り出してしまう要因になっています。
つまり、年収=社会的ステータス=幸せという図式が今の日本社会には蔓延しているのです。
この意味において、年収は学歴と同じような使われ方をしています。
しかし、年収が高ければ必ずしも幸せということでもないと私は思います。
お金がないと不幸になるのは確かだがお金があれば必ずしも幸せ、というわけでもないです。お金はあるけど家族との時間がとれない、忙しすぎて最近はプライベートなんてない、趣味もできやしない、なんて人を私はたくさん知っています。(あとどこのデータだか忘れたが年収と幸福度の相関はある一定の段階で停滞するというのを見たことがあります)
そもそも、幸せというのは人によって形が違うのだから画一化した公式に当てはめて考えようとすることはできません。むしろそのような反規範的存在を許さないような考えは多様性を潰してしまうでしょう。
幸せというのはその人が幸せとえばそれで成立します。いうなれば幸せというのは足ることを知ることなのです。幸せは自分の中にしかない。
人と年収の話をするというのは私にはどうしても年収を人と比べることによってそれとほぼイコールである幸せを比較し、社会全体での自分の幸せの度合いを相対的に図ろうとしているようにしか思えません。そしてその考え方はより高いステータス、つまりより高い年収を渇望させる要因になります。
そのような自分の幸せを外部的評価に頼ろうとしている時点で、幸せからは遠ざかっているといえるでしょう。
年収を気にしているようでは、永遠に幸せになどなれないのです。
怒らない=優しいではない
怒らない人、と聞くとなんでも許す寛大な心の持ち主なのかな、と思う人は多いと思います。
しかし、怒らない=優しいという公式は必ずしも成立するとは限らないと私は考えます。
今回は、なぜ怒らない人が必ずしも優しいとは言えないのか、説明したいと思います。
なお、今回説明する「怒る」は教訓を説く、という意味合いのある「叱る」を含まない、単純な心理状態および態度を言うとします。
1.「怒る」ってそもそも何?
⑴「怒る」の定義
「怒る」とは
[動ラ五(四)]
1 腹を立てる。おこる。憤慨する。「烈火のごとく―・る」
2 激しく動く。荒れ狂う。「波が―・る」
3 角張って、ごつごつしている。角立つ。「―・った肩」
という意味らしいです。(コトバンクより)
今回解説するのは1の腹を立てる、憤慨するといった心理状態や態度のこととします。
⑵「怒り」のメカニズム
アドラー心理学によると人は他人、または事象に対して「期待」し、その期待に反する出来事が起きた時に「怒り」が発生します。
この場合でいう「期待」とは「こうなってほしい」という積極的な期待ではなくても構いません。「こうするべきだ」「こうするはずだ」「こうなるのが普通だ」といった自分の中では当たり前であるという認識で足ります。
例えば、料理店で食事を使用としたところ、店員の態度が悪かった場合には多の場合「怒り」が発生します。私たちは店に入ったら客として扱われ、店員は客に丁寧に対応するのが普通だと思っているからです。しかし、上記の例ではこの「期待」が裏切られているため「怒り」が発生するわけです。
また、この期待に反する出来事も、自分にとって不都合なもの、または自分に不利益をもたらすものである必要があります。
例えば、自分が見知らぬ他人に突然殴られたら「怒り」はわくでしょうが、見知らぬ他人が突然殴られても「怒り」はわかないのが通常です。(正義感がかなり強い人は別として)
また、50点だと思ったテストが思った以上によくできていて90点だった場合、「期待」に反する出来事であることは間違いないですが、「怒り」の原因とはなりません。自分にとって不都合でも不利益でもないからです。
なお、「自分に」とっての不都合・不利益は場合によっては他人の不都合・不利益も含みます。
例えば、自分の子供が誰かに突然殴られた場合、親としては相手に怒るのが通常です。この場合、直接的に自分の不都合・不利益となっているわけではありませんが子どもという自身とほぼ同視できる、または身近な対象に不利益・不都合が生じているから、「怒り」が発生しているのです。
このように、私たちが怒るとき、私たちの中では①「期待」がある→②「期待」が裏切られ、自分にとって不都合なこと・不利益となることが起こる→③「怒り」がわくという因果経過が発生しているのです。
2.怒らない人には何が起こっているのか
「でも、自分の周りでは怒らない人もいる!!」という人もいるかもしれません。実際、そういう人は一定数います。では、そのような人の中では何が起こっているのでしょうか。考えられる場合として以下の二つがあります。
⑴「怒り」は発生しているものの外部に出ていない、または出していない
⑵そもそも「期待」していない
これらの場合について、以下検討していきます。
⑴「怒り」は発生しているものの外部に出ていない、または出していない
例えば、本人としては怒っているつもりでもその人があまり感情が表に出ないタイプの人間であった場合等が「怒り」が発生しているものの外部に出ていない場合だと言えます。
また、怒ってはいるものの外部に出しても自分に利益がない、等と考えて意図的に怒っていることを表に出さない場合が「怒り」が発生しているものの外部に出していない場合に当てはまります。
このような人の場合、周りが認識していないだけで怒ってはいるので安易に優しいと判断するのは危険です。腹の中では何を考えているのか探りながら失言を控えましょう。相手は仏ではありません。
⑵そもそも「期待」していない
それでも、たまに本当に怒っていないという人もいますよね。
明らかに腹立たしいことをされたのに本人に話を聞いてみても「全然怒ってない」と返ってきたり…。
このような人は、そもそも「期待」していないということが考えられます。
例えば、彼氏が浮気したとします。
このような場合、彼氏に対して「怒り」を覚えるのが普通だと思います。恋人の不貞による喧嘩は世の常ですからね…。私?あった覚えがないですね(血涙)
この場合、通常なら「期待」が存在し、それが裏切られることによって自分の不都合・不利益が生じますから「怒り」は発生するのが妥当です。
ところが、彼女が全然怒らずあっさり許したとします。
この場合、彼女はそもそも「期待」していないのです。つまり、彼氏が浮気をしようがしまいがどうでもいいのです。
部下がミスをしたのに上司が全く怒らないのもこの場合ですね。この時、上司は部下がミスなく仕事をしてくれると「期待」していないのです。このようなシチュエーションで発生する「怒り」は「叱り」に結びつくことも多いです。だから、「叱られているうちが華」等というのですね。
この場合、そもそも相手に対して無関心なんですよね。「期待」は関心のある相手だから起こりうることが多いわけです。にも関わらず、「期待」せず結果的に全く怒らないというのはやはり冷たいように思います。
それなら、浮気したときに怒ってくれる彼女、ミスしたときに怒ってくれる上司の方がよっぽど優しくて好感が持てると思いませんか?
3.まとめ
以上、私が怒らない=優しいではないと思う理由でした。
今回の記事で新たな発見があったなら幸いです。
結論として、彼女のやきもちは最高ってことだね(違う)
今のジャンプ漫画はジャンプ「らしくない」。
私は漫画が大好きで特に少年誌はかなり長い間愛読しているのですが、特にジャンプは昔から今現在まで大変お世話になっています。
最近のジャンプは昔に比べ見るものがなくなった、と言われがちですが、いや、そんなことはないと声を大にして言いたい。
私腑が思うに、「ジャンプ漫画に面白いものがなくなった」のではなく、「ジャンプ漫画の傾向が依然と変わった」だけなのだと思います。
今回の記事ではそのようなジャンプ漫画の変化について考察したいと思います。
1.現在のジャンプ漫画の傾向
⑴「バトル」以外の漫画の台頭
まず、今のジャンプのラインナップを見て思うのはジャンプ漫画の傾向が昔とはかなり違うということ。
ジャンプらしい漫画の代表格といえば、王道バトル漫画です。
それこそ「ONE PIECE」「NARUTO」「BLEACH」等が同時に掲載されていた頃はいわゆる王道バトル漫画が多く連載されており、ジャンプの看板を担っていました。
しかし、今のジャンプでは「僕のヒーローアカデミア」や「鬼滅の刃」等バトル漫画は依然としてあるものの、その割合は減っていると言えいます。
バトルものではなくても、スポーツものであればジャンプは今までも何回も連載してきましたが(「SLAMDUNK」「黒子のバスケ」「ハイキュー!!」等)今の傾向はそれとも違います。
例えば、「アクタージュ」や「Dr.STONE」等です。これらの漫画はバトル描写に頼らずヒューマンドラマや特定分野に特化しています。
「食戟のソーマ」も料理というジャンプ漫画としては異色のジャンルを題材にしています。
つまり、バトル以外の漫画が今のジャンプの一定数を占めているのです。目に見えてわかりやすい変化はこれでしょう。
⑵「バトル」+α
所謂バトルもの以外の漫画が増えてはいるものの、「僕のヒーローアカデミア」等依然としてジャンプにはバトルものが存在します。
しかし、今のジャンプは「バトル」だけではなくその作品独自のプラス要素が併存しているバトルものが多い印象です。
具体例としては、今春からアニメがスタートする「鬼滅の刃」があります。
「鬼滅の刃」はバトル漫画でこそあれ、ギャグ描写やなんとも言えない物悲しい心情描写が併存していることから、単純なこれまでの「王道バトル漫画」とは評せません。
また、特に顕著なのは現在アニメが放映されている「約束のネバーランド」です。メインはバトル描写ではあるものの、敵である鬼との知能戦も絡んでいます。
バトル漫画の内容自体にも変化が起こっているのです。
2.理由
では、なぜこのような変化が起こっているのでしょうか。私は原因としては以下があると考えています。
⑴バトル漫画が増えすぎた
理由の一つとして前述の「ONE PIECE」や「NARUTO」時代にはバトル漫画が爆売れしたので、ジャンプ=バトル漫画、または漫画の一大ジャンル=バトル漫画の公式が根付いてしまったため、バトル漫画が増殖したと考えられます。
そのため、バトル漫画が飽和状態となり、読者に飽きが来てしまったのです。
結果、バトル漫画よりもそれ以外のジャンルの方が目新しくなり、そのような漫画が台頭するようになったのです。
また、バトル漫画にしてもただ単に以前のような数ある王道バトルものを書いていては埋没してしまうため、ほかとの差別化を図るため、「バトル+α」の漫画が増えたのだと思います。
⑵時代の変化
ジャンプのターゲット層は昔から変わらず10代の若者が大部分ですが、時代の変化により彼らの意識も変わってきたと考えられます。
現在では技術化や情報化が進み、わずかな労力で生活ができるようになり、様々な情報が簡単に入手できるようになりました。
また、少子高齢化やAI技術の発達も重なり、日本はこの先ますます「人の力」を使わなくなると考えられます。
そうなると日本の雇用や年収水準は下がるため、日本ではもはや以前のように未来に対して無条件で希望を見出すことは困難になると予想されます。このような時代を生き抜くためには精神論よりもむしろ緻密な戦略が必要とされるでしょう。
そのような厳しい時代が眼前に迫っている今の若者たちにとって「努力・友情・勝利」のバトル漫画は感情移入しにくいのです。
それよりかはむしろ、厳しい状況を戦略で打破する漫画を感情移入の対象に求めているでしょう。
以前のようなバトル漫画は現代の若者にとっては夢物語に等しいのです。
⑶読者層の変化
前述の通りジャンプの読者層が10代の若者であることは間違いないですが、ジャンプの読者層は以前と比べ少々変化しているのは間違いないです。
今ではジャンプの女性読者は3割にのぼり、年齢層も若干高めになっていることが推測されます。読者層が多様化したとも言えます。
需要が異なる上記の読者に従来のようなバトル漫画がウケるかといわれると答えは否です。
このような多様化する読者の需要に対応するために、ジャンル幅を増やしバトル以外の要素を付加することが必要となってきたのです。
(4)「進撃の巨人」を逃したから
個人的にはこれはかなり有力だと思ってます。
そもそも、上記(1)~(3)が真実だったとして、それだけではジャンプにジャンプ「らしくない」漫画が増えた理由にはなりません。そのような系統の漫画が漫画業界全体に増えただけであって、ジャンプには存在しないということもありうるからです。
他でもないジャンプに、従来のジャンプ「らしくない」漫画が増えた原因は、編集部がジャンプ「らしさ」に固執して、面白い漫画を逃すことを防いだからだと予想できます。
「進撃の巨人」をジャンプ編集部が「ジャンプらしくない」との理由で突き返したのは有名です。このエピソードが示すように、依然のジャンプ編集部はあくまでジャンプ「らしい」漫画を求めていたと言えます。
しかし、「進撃の巨人」がマガジンで脚光を浴び、上記エピソードが広まってしまったことで、「ジャンプ編集部は無能」という評価が広まります。
このままでは、ジャンプ編集部に面白い漫画を持ち込んでくる新人が減り、他誌に遅れをとってしまう。それは何としても避けなければならない。
そう考えたジャンプ編集部は、意識的にジャンプ「らしくない」面白い漫画を受け入れることによって良い漫画を多く確保するようになったと考えられます。
同時に、そのような漫画を本誌で連載することによって漫画家がジャンプ「らしくない」漫画をジャンプ編集部に持ち込む心理的なハードルを下げているのです。
つまり、ジャンプ編集部が漫画の傾向を問わず面白い漫画を確保しよう意識的に働きかけたのです。
なお、ジャンプ編集部自体「進撃の巨人」を逃したことをネタにしています。このことは、ジャンプ編集部自身、「進撃の巨人」を逃したことを気にしていた証拠だとも思えます。もっとも、上記のことがネタにされたのはジャンプにもジャンプ「らしくない」漫画が増えた後だったので、今なら笑話として語れる、と編集部が判断したのでしょう。
3.まとめ
以上、今のジャンプ漫画についての考察でした。
あくまで私の考察にすぎませんが、おおむねあっている部分もあると思います。
少なくとも、今のジャンプは今の路線で成功しているため、時代のニーズにうまく応えていると言えるでしょう。
一読者の私としては、ジャンプ漫画の変化によって今までとは異なる漫画を楽しめて喜ばしい限りです。
最近はまっているバンド、King Gnu
旅行記の更新が終わってしまったので書くことがありませんね(笑)
もともと、この日記は徒然に心境を語るという目的で作ったので、バリバリ趣味の話をしたいと思います。
私は嫌いな音楽がないといっても過言ではないぐらいジャンル問わず色々聞くのですが、最近では友人が教えてくれたKing Gnuというバンドにはまっています。
King Gnuはボーカルが二人編成という面白いバンドで、そのせいか曲の雰囲気に振れ幅があってよいです。
Mステにも出たことがあるバンドで、その時は「Slumberland」という曲を歌っていました。曲はけだるげな雰囲気の中にキャッチーなメロディーのある耳障りの良いものなのですが、正直曲よりも後ろでキーボードたたいてる井口の方に目が行くんですけど(笑)(実際彼は著名なTwitterアカウントにクソリプを送りまくっているようなとんでもねえ奴ではある。何してんだ井口。)
正直初見では明らかなこいつやべえ感を漂わせている彼ですが、「Vinyl」という曲では独特の透明感のある声でアンニュイな曲の雰囲気を歌い上げてたりするのでイメージの変動が激しすぎる。曲の振れ幅じゃなくて井口の振れ幅だなこれ。「Vinyl」は特に私が好きな曲で、サビの盛り上がりとバックのくぐもった無機質な音と井口の声が絶妙にマッチして心地よいです。ラスサビの盛り上がりは特に井口の声だけで勝負してる感じがあって好きですね。あとどうでも良いことなんですがPVで井口が振ってる可愛い女の子たち私がもらっていっちゃだめですかね?え、だめ?厳しいな世の中。
そんなこんなで他にも語りたいことはあるのにほとんど井口のことだけで記事が埋まってしまった。とにかくKing Gnu、いいバンドだよ!ぜひ聴いてくれ!