年収が高いほど人は幸せになれる?
社会人になるとみんなどうしても年収の話するよなあと思ってしまいます。
年収というのはわかりやすくその人の能力だとかを反映してると世間一般では思われてるから年収=社会的ステータスという価値基準になってしまいやすいからです。
お金がなくても幸せ、なんて言ったりしますがお金がないと不幸になるのは真実です。世の中やはりどうしてもお金というものは必要で、そのことがまた年収=不幸ではない=幸せという方程式を作り出してしまう要因になっています。
つまり、年収=社会的ステータス=幸せという図式が今の日本社会には蔓延しているのです。
この意味において、年収は学歴と同じような使われ方をしています。
しかし、年収が高ければ必ずしも幸せということでもないと私は思います。
お金がないと不幸になるのは確かだがお金があれば必ずしも幸せ、というわけでもないです。お金はあるけど家族との時間がとれない、忙しすぎて最近はプライベートなんてない、趣味もできやしない、なんて人を私はたくさん知っています。(あとどこのデータだか忘れたが年収と幸福度の相関はある一定の段階で停滞するというのを見たことがあります)
そもそも、幸せというのは人によって形が違うのだから画一化した公式に当てはめて考えようとすることはできません。むしろそのような反規範的存在を許さないような考えは多様性を潰してしまうでしょう。
幸せというのはその人が幸せとえばそれで成立します。いうなれば幸せというのは足ることを知ることなのです。幸せは自分の中にしかない。
人と年収の話をするというのは私にはどうしても年収を人と比べることによってそれとほぼイコールである幸せを比較し、社会全体での自分の幸せの度合いを相対的に図ろうとしているようにしか思えません。そしてその考え方はより高いステータス、つまりより高い年収を渇望させる要因になります。
そのような自分の幸せを外部的評価に頼ろうとしている時点で、幸せからは遠ざかっているといえるでしょう。
年収を気にしているようでは、永遠に幸せになどなれないのです。